訴状の提出と裁判の開始

前回の記事では、PIPで出社停止となった私が職場に復帰した後、仕事をしながら、訴状の作成を進めたことをお話させて頂いた。

今日は、実際に始まった裁判のことを書きたいと思う。

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弁護士を付けずに裁判を起こした理由

今回の労働審判は、私は弁護士を立てずに行った。

これは「本人訴訟」と呼ばれる。

裁判というと、通常、弁護士に依頼することが多いイメージがあるが、法的には弁護士は必ずしも立てる必要がない(これは民事裁判の場合。刑事裁判では弁護人が必ず付く)。

もちろん、それは弁護士の費用(何十万円という着手金や、勝った金額の20%とか30%という手数料)を節約したいという意味もあるが、それ以上に私は、ある弁護士事務所のホームページに書かれていた次の言葉に強く感銘を受けたからである。

「私は、本来、訴訟というのは本人が行うのが一番だと考えている。

なぜなら、『これは違法行為だ、これは損害賠償してもらわなければならない、これは正されなければならない』というような感覚は、本人が一番感じていることであるからだ。

そのような一般の市民の問題感覚こそが、法律を発展させ、そして今日の民主主義社会を築き上げて来たのである。

たとえ、今はその内容が法律には明記されていないとしても、これはおかしいと思ったら訴えを起こすべきである。

弁護士は、その本人の手助けをするだけの立場に過ぎない。」

私はこれを読んだ時、雷に打たれたような衝撃を受けた。

そして、弁護士を付けない本人訴訟を決意したのである。

なお、労働者側が弁護士を付けない割合は、労働審判全体の7%に過ぎないという統計があるようだ。

だが、私はこれを読んでいる読者の方にも、ぜひ、可能であれば本人訴訟をすることを勧めたい

裁判とは何か

私は、「このPIPによる解雇こそは、退職を強要する違法行為であり、損害賠償されなければならない、そのために裁判を起こそう」と決意した。

また、現実的にも、自分で会社に「辞めない」と言い続けたにも関わらず社員証を取り上げられ、労働組合を通して解雇の撤回を求めても「解雇していない」と言って逃げ続け何らの反省の弁も、何らの補償もなかった。

まさに「自助努力」は最大限やったが、だめだったのである。

だから、このような場合に残された手段は、裁判だけであった。

だから裁判を起こさざるを得なかったのである。

裁判以外のすべての手段を頑張って試したがだめだった、という形になってから裁判を起こすことは、裁判官に良い心証を与える条件である。

なぜなら、「司法」という国の大事なリソースを使わせてもらうのだから、リソースの無駄遣いは避けなければいけないからである。

憲法第32条には、「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない」と書かれている。

つまり、裁判を起こす権利は、国民に保証された非常に重要な権利なのである。

これこそはまさしく、「民主主義の根幹」をなす権利であると言ってもいいだろう。

日本人は、和を以て貴しとなし、争いごとは嫌う傾向があるとされ、裁判を起こすなんて言うと、異常な考えの持ち主だ、とまでみなす雰囲気がある。

しかし、アメリカでは裁判件数は人口あたりで見たら、日本の5倍近いようだ。

裁判の数は、ある意味、民主主義の成熟度を表しているのではないか、と私はそう思っている。

東京地方裁判所への訴状の提出

私は、訴訟で求める損害賠償金を、年収1.5年分とした

私の年収は700万円だったため、1050万円を訴額として求めたという形になる。

弁護士を立てずに起こしたので、必要な訴訟費用は印紙代の2.5万円のみであった。

(その他、弁護士への個人的な相談料として数万円かかっている。)

弁護士に頼めば、おそらく50万円以上の着手金が必要になるだろう。

そして、この1050万円の中身であるが、PIPによる退職強要行為に対する損害賠償として900万円、在職中のパワハラ行為に対する損害賠償として150万円とした。

損害賠償の算定方法については、いろいろ調べたが、絶対にこうしなければいけないという基準はないようだった。

なので私は、「これくらいの金額を払ってもらえば、あなたがたの行為はすべて忘れられる」という心理的な条件を探った結果、「1.5年分の年収をもらえれば、恨みをすべて忘れられる」と思ったので、そのような基準で金額を決めた。

みなさんも、弁護士が勧めてきた金額(たとえば100万円とか200万円とか低い金額)ではなく、自分の心が納得することのできる金額を基準に訴訟を起こすことをお勧めする

そのような訴訟を起こすためには、最終的には本人訴訟という形にならざるを得ないのではないか、とそう私は思うのである。

訴状の提出は、東京地方裁判所に行って、印紙を貼付して事務員のような方に手渡すだけのわずか2-3分の手続きであった。

それはあまりにも簡単な手続きであったが、私にとっては、自分のすべてを掛けて戦いを開始した瞬間であった。

会社は弁護士2人を雇って対抗してきた

会社側に訴状が届いたのは、すぐ翌日位であったようだ。

なぜなら、翌日に廊下ですれ違ったディレクターの目のすごみを今でも忘れることができないからだ。

完全に「こいつ、なんてことをしてくれたんだ」という雰囲気であった。

マネージャーに呼び出されていつもの1 on 1をやった時に、彼はこう言った。

安達くんは、会社を訴えているの?なんで?

訴状の中身は知らないようだった。

やはり、ディレクター以上の人でなければ、内容を知らないようだった。

なお、訴状が提出されると第1回目の審判の期日(出廷する日)というものが裁判所から通知されるのだが、通常は1ヶ月後位になるらしい。

しかし、訴状を出した11月は年末年始の忙しい時期を挟んだ時期だったためか、あるいは会社の弁護士が働きかけたのかは分からないが、期日は3ヶ月も先とされた。

会社側は、その3ヶ月の間に十分に反論の準備ができてしまい、私には完全に不利となる。

しかも、会社側からは「〇〇法律事務所」の2人の弁護士を立てたとの通知があった。

その通知書には、弁護士の名前と共に、その経歴書や実績まで添付されており、明らかに私を威圧するために送られてきたのは確かだった。

さすが、会社の資金力は個人の比ではない。

私は弁護士なし、会社側は敏腕の弁護士2人。

まさに、巨人ゴリアテを相手に一人で戦った若きダビデのような立場になってしまったのである。

絶体絶命の危機

私は、恐怖に震えた。

「ああ、私はもうダメかもしれない」

仕事中、あまりにも恐怖に打ちのめされた時は、新宿の高層ビルの共用トイレの便座に座ったまま、声を出さずに泣いた。

でも、こうも思った。

「もう、私の人生の全てを賭けて戦うしかない。

まさに、窮鼠猫を噛むである(追い詰められたネズミは猫を噛むと)。

たとえ負けて数千万円の負債を負うことになったとしても、全力で最後まで戦いきってみせる」

そのように自分を奮い立たせたのである。

まさに、死闘の火蓋が切って落とされたのである。

そして、第1回目の期日の日、私はとんでもない光景を目にすることになるのである。

(続く)

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