労働審判の終わりと新しい人生

前回の記事では、労働審判の1回目の法廷で、私が1年間溜め込んできた心の中の思いを、30分間にもわたってとうとうと語り続けたことを、話させて頂いた。

今回は、労働審判のその後の経緯を話そうと思う。

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第1回の期日はあっけなく終わった

私の口頭弁論が終わると、裁判官は会社側の弁護士に弁論を促した。

すると不思議なことに、会社側の弁護士は「書面で出した通りです。追加の弁論はありません」とだけ答えた。

そのため、第1回目の審理はその場でお開きとなった。

私は法廷の外で待っていた妻に会って、経緯を話し、その後はすぐに新宿の高層ビルにある職場へと向かった。

「なぜ、会社側は何も口頭での弁論を行わなかったのだろう。

10人も出席していて、誰ひとりとして口を開かなかった。」

電車の中で、そのように、審理の場を回想し続けていた。

またいつも通りの会社生活

第2回目の期日は約1ヶ月後の2月中旬に設定されたと、裁判所から通知があった。

それまでの間は、何事もなかったかのように新宿の職場に通い続け、通常通りに業務をした。

ディレクターから呼び出されることもなかったし、マネージャーから裁判の件に言及されることもまったくなかった。

ただひたすら静かであった。

私は、弁護士に経緯を話しながら、2回目の期日に向けて、会社側への追加の反論の書面を作成していた。

しかし、何ぶん、通常の仕事をしながら書類を作成するわけだから、書きたい内容をすべて書く時間はなかった。

本当は、PIPで与えられた課題がいかに過大なものであったか、プログラムの行数をもとに数値として示したかったのだが、それは半分しか完成しないまま、2回目の期日を迎えることとなった。

2回目の審理

私はまた、2回目の審理に出席するために、裁判所に向かった。

私は相変わらずただ1人で原告側の席に座ったが、被告側の席についた会社側の出席者はわずか3人であった。

それは、弁護士2人と、私にPIPを課したそのディレクターだけであった。

そして、冒頭に裁判官は驚くべき言葉を口にした。

「会社側から和解の提案が出ています。

安達さん、この内容についてどう思いますか?」

書面で渡されたそこには、和解の条件が示されていた。

読者には申し訳ないが、この内容はこの記事では記すことができない。

私は「少し考えさせてください」と言って、その和解の提案内容を何度も読み返した。

そして、こう思った。

「この条件を断ったら、多分、会社との戦いは労働審判では終わらずに、公開の通常裁判に持ち越されるだろう。

そうなれば、私はもしかすると、公衆の目にさらされ、記事などで名前も報道され、大変なことになってしまうかもしれない。

会社側もたぶんそれを望まないから、こういう提案をしてきたのだろう。

確かに私の要求がすべて満たされたとは言い難いが、この条件を飲むのがいいかもしれない。」

そして、私はこう言った。

「はい、この和解条件を受け入れます。」

こうして、和解は成立した。

労働審判は、実に8割近くは和解で結審するようである(裁判官による判決の形になることは少ない)。

私の労働審判も、こうして和解で終わったのであった。

新しい人生

労働審判の結果は、決して自分の要求が100%認められるような内容ではなく、会社側も一切謝罪の言葉がなかったので、その点は満足がいくものではなかった。

しかし、もしPIPによる解雇で私が何もアクションを起こしていなければ、1円の補償金もなく、ただ社外に投げ出されていたであろうことを思うと、労働審判を起こして良かった、と思えるものであった。

私はその会社を退職し、1ヶ月ほどの休養期間をおいてから転職活動を開始し、別の会社に無事に就職することができた。

こうして、私は新しい人生の一歩を踏み出したのである。

なくなってしまった会社

ちなみに、労働審判が終わったあと、私はその会社を一切振り返ることなく、記憶から消し去って生きていたが、7年ほどした時にふとしたきっかけで会社のホームページをもう一度見てみたいと思った。

しかし、会社のホームページは跡形もなく消えてしまっていた。

念のため、新宿のその高層ビルのエントランスにも行ってみたが、その階にあったはずの会社のプレートは取り去られ、まったく別の会社が入居していた。

さらに、イギリス本社のホームページを見てみると、アジアの拠点から日本は見事になくなっていた

「一体何が起きたのだろう」

そう思った私は、かつての同僚たちのLinkedInのアカウントをたどってみた(外資系の人はみなLinkedInのアカウントを持っている)。

そうすると、私が退職してから3年後に、一斉にみな、他の会社に転職していることが判明した。

そう、そのイギリス企業の日本法人は、日本から完全に突然、撤退したのであった

その撤退に、私の労働審判の結果が影響していたかどうかは、私には分からない。

最後に

10年間に渡って書き続けた私の「パワハラに負けない」ブログは、この記事をもって最終稿とさせて頂きます

パワハラや退職勧奨に苦しんでいる方に少しでも希望を与えられたらという思いで、ブログを書き続けてきました。

途中、つらくて思い出したくない内容もあり、ブログをやめようかと思ったこともありましたが、最後まで書き続けることができたのは、読者から寄せられるコメントと励ましのおかげでした。

パワハラに苦しんでいる方に言いたいです。

どうか、泣き寝入りはしないでください。

勇気を持って行動を起こせば、自分の人生を変えることができます。

共に、頑張りましょう。

ながらくの応援をどうもありがとうございました。

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