前回の記事では、1.5年分の年収に相当する1050万円の損害賠償を求めて労働審判を起こした経緯と、第1回目の法廷の場にただ1人しか入場を許されなかったことを書かせて頂いた。
今回は、その法廷の場の様子を書かせて頂こうと思う。
私は弁論を促された
裁判においては、自分の考えや意見を述べることを「弁論」という。
弁論は口頭ですることも可能だが、ほとんどの裁判では書面でなされることが多い。
当然、私も3ヶ月間掛けて書面を用意し、訴状として提出していたのだが、労働審判の場でも、改めて口頭で自分の主張を述べる機会が与えられた。
私はその場で、この約1年間の苦しかった思いを、まるで機関銃を打ち続けるように、まるでダムが決壊して水が濁流となって流れ下っていくかのごとく、非常な勢いで話し始めた。
その話は、おそらく全く息をつく時間もなく、ひたすら30分間は続いたかと思う。
それは以下のような内容であった。
私が30分間休みなく語り続けた内容
一生懸命に仕事をしていたのに、ある日突然、ディレクターに呼び出されて、自主退職を促されたこと。
それを断ったにも関わらず、その後、毎月のように半年間も退職勧奨を受け続けたこと。
そして、最後のミーティングではPIPという業務改善プログラム (Performance Improvement Plan) を課すことを宣言され、それに合格しなければ解雇になると言われたこと。
PIPは、わずか4週間の間に、6ヶ月はかかる分量のプログラム作成を命じられる内容であり、深夜まで毎日残業して、土日も出勤して進めたが、結局全体の1/3しか終わらせられなかったこと。
その結果、私は社員証を取り上げられて、出社が許されなくなり、解雇を宣言されたこと。
私は、労働組合を通して団体交渉を要求し、4度の交渉を通して、3ヶ月後にようやく解雇の撤回を勝ち取ったこと。
出社後、PIPで課された課題の続きを行ったが、完成させるまでにさらに3ヶ月かかったこと(すなわちPIPの1ヶ月間を合わせると、4ヶ月掛けてようやく完成させることができたこと)。
会社側は私の能力が低いと主張しているが、私は4年間にも渡って正社員としてちゃんと評価を受けて勤務していたのであり、ある会議でマネージャーの方針に反対意見を表明したことで、急に退職するように言われるようになったのであり、まさしく政治的な理由であること。
また、PIPは半年分の業務量を1ヶ月でやるように命じる内容であり、成果改善のためのプログラムどころか、それを理由に退職に追い込むための退職強要プログラムに他ならないこと。
会社では、PIPを課したことに対して、一切の謝罪どころか、言及もなく、マネージャーからの面談で言われる言葉も、以前より厳しいものになったこと(しかも、通常30分で設定されている面談が、2時間に及び、その間、ひたすら成果の否定をされ、以前より厳しい要求を突きつけることも多かったこと)。
このままでは会社はPIPを永遠に闇に葬ってしまい、私が自主退職するまで追い詰めることをやめなさそうな雰囲気であり、毎日の勤務が地獄のように苦しい状態であること。
だから、訴えを起こして、ちゃんと会社側に犯した罪(退職強要行為)の償いをさせたいと思ったこと。
また、PIPという闇の制度で苦しんだ日本の労働者のためにも、自分が立ち上がって、ちゃんと社会に訴えていかないといけないと思ったことも、今回の労働審判を提起した理由であること。
私の真剣さは審判員たちにも伝わったはず
私は、感情の噴出するままに、1年間、我慢に我慢を重ねて溜め込んだ思いを、とうとうと語り続けたのである。
私はあまりにも興奮して、相手や裁判官、審判官たちの様子までは記憶には残っていないが、おそらく私の鬼気迫る話の内容に、何一つ口を挟むことができなかったに違いない。
私にとっても、多分、一生に一度しかないであろうというほどの、公的な場での長時間に渡る感情の噴出であった。
おそらく、審判員たちにも、会社側にも、私が訴状に書いた内容は、私の心の奥底からの叫びであることは伝わったものと思う。
(続く)
コメント