前回の記事では、PIPの第1週目に必死で頑張った様子と、その金曜日に行われた成果レビュー会議の様子を書かせて頂いた。
そのレビュー会議は、トップの支社長を始め、普段話した事もないような管理職クラスの人がズラーっと10人位、勢揃いした前代未聞の圧迫会議であった。
そして、支社長1人が厳しく尋問を浴びせる以外は、皆沈黙を守るという異常な雰囲気の会議であった。
それは、成果をレビューするという表向きの理由とは違い、いかに私を解雇する口実を見つけるかという軍法会議のような雰囲気を持つ会議であった。
死刑宣告会議
目的はただ一つ、死刑を宣告すること。
まさにそれ以外の目的はなかった。
私は、その会議を首の皮一枚を残して、お情けでギリギリに通過することができた。
毎日、背中から銃を突きつけられ、動きが鈍ったり、倒れた瞬間には直ちに狙撃される、どこかの国の強制収容所のような環境で仕事をしていた。
PIPとは、成果の改善を表向きの理由とした、退職強要プログラムに他ならないのだ。
これは、私が身を持って経験した「事実」である。
一言の失言がPIPへ繋がった
そもそもこのPIPは私が産業医にもらしたたった一言から始まったのであった。
「上司に毎週詰められるのが、辛くて辛くてたまらないんです。」
その言葉はそのまま上司とそのまた上司に伝わり、「反逆的」とみなされた私は、一気に「追い出し」の対象となったのである。
会社はその事実を絶対に認めず、「お前の成績が不良だから」の一点張りだったが、実際にはこの言葉が私に対する退職プログラムの引き金を引いたのである。
週末の暗黒の2日間
そのレビューが終わった週末は本当に暗黒のような気持ちで過ごした。
外は晴れていて気持ちがいい天気であったが、私は外に出かける気分にもなれず、部屋の中で陰鬱な気分で過ごしていた。
そして、日が沈み、夕闇が迫ってくると、まるで明けない永遠の夜が訪れるかのような気持ちになり、ため息と不安と恐怖で心がいっぱいになった。
日曜日の夜は、次の日の出社を考えて、それこそ死にたくなるような孤独の中で時計の針が過ぎていくのを見つめていた。
この苦しさは、多分、経験したものでなければわからないことと思う。
ついに始まったPIP第2週目
月曜日、ついにPIPの第2週が始まった。
それは、またもや銃殺を覚悟で臨まなければいけなかった死の時間であった。
私は先週のレビューでの指摘事項を元に作業を進めた。
先週は、システムの設計の段階であったが、それは9割位しかできていなかったので、残りの完成を急いだ。
そして、早速実装に入ることにした。
しかし、プログラムは単に作ればいいのではなく、それを動かし、期待通りに動く環境を整える事も大切な作業の一つである。
改修を行う対象のプログラムは、ファイル数にすると1万近くに及び、コンパイルには10分かかる極めて規模の大きなものであった。
結局、まともにそのプログラムが動く環境を整えるのに3日も費やしてしまった。
しかも、社内のドキュメントを必死に当たる他は、他のエンジニアや上司にヘルプを求める事もアドバイスを求める事も許されてはいなかった。
朝から晩まで一人ぼっち
それは、一言も朝から晩まで口を聞く事も許されない絶対的な孤独な環境であった。
日本のオフィスでは誰も助けてくれないので、遠くアメリカの本社やインドの支社にいる顔も見たことのないエンジニアにメールを書いて、必死にヘルプを求めた。
彼らからすると、なぜ隣の同僚に聞かずに、遠く離れた私に聞くのか?という面倒くさい気持ちであったことと思う。
結局のところ、月曜日は設計の残作業、火曜日から木曜日は環境構築に費やしてしまい、実装作業ができたのは金曜日の午前だけという悲惨な状況になった。
そして、その週のレビュー会議は金曜日の16時に容赦なくセッティングされた。
私は、ひたすらどれだけこのシステムの環境構築が大変かを示す証拠を提示するように努力した。
それは後ろ向きと言われるかもしれないが、私にはもうそれ以外には自分の努力をアピールする材料がなかったのである。
始まった2週目の成果レビュー会議
そして、レビュー会議はまた例の大部屋で始まった。
驚いたことに、参加する人数は前回の半分であり、他の部門の見知らぬマネージャー達は参加を除外されているようだった。
おそらくだが、身内だけで固めて、死刑宣告を行いやすい雰囲気を整えたのではないかと思った。
私は今週の作業を淡々と説明し、1週間フルに使って進めるべきであった実装作業は、半日しかできなかったことを報告せざるを得なかった。
それが、私が毎日終電まで頑張ってやったことの結果だった。
レビュー会議のメンバー達の顔は曇り、その場には白けとも取れるような冷たい雰囲気が満ちていた。
そう、彼らは最初から解雇を予定してこの場に臨んでいたが、私の成果が彼らの予想をも下回るほどひどいものだったので、もう開いた口が塞がらないというか、終わったな、という気持ちすら持っていたのである。
それが私にはひしひしと伝わってきた。
支社長の結論
そして支社長はその場の雰囲気を総括するかのように、こう言った。
「君は、全然期待値に達していない。
それは分かるね?」
そして少し間を置くと、次の言葉を吐き出した。
「君は、今この場で解雇されてもおかしくはない状態だ。」
私はこの言葉を聞き、どこかのドラマの場面を思い出し、頭が真っ白になった。
そして、支店長は少し息を置いてさらにこう言った。
「だが、人事とも話したんだが、最後までやってみてその結果を見て判断する、ということにしたよ。
まあ、今の様子を見ると、結果は火を見るより明らかだけどね。
あっはっは。」
この判断は、1週目や2週目で請求に首切りすると、後で法的に瑕疵を残しかねないという、最後の良心の呵責的なものがあったのではないかと推測しているが、私にはその真相は分からない。
とにかく私は、これで2週目もなんとか、首の皮一枚で籍が繋がったのである。
感じたことのない絶望感
「は〜」
私はそう深くため息を付くと、自席に戻り、静かに想像を巡らせた。
「ああ、あの様子だと、お情けで4週目まではいられそうだが、そこで多分終わりだな。
いくら頑張っても、今の課題は半分もできなさそうなペースだし、これは完全に逆転はあり得ないだろうな。」
それは、アルプスの高い山に登頂するために通らなければいけない2000メートルの垂直絶壁のようにそびえ立っていた。
人間は、あまりにも自分の能力を超えた高い目標が与えられると、かえって開き直るものである。
そして、こう思った。
「もう、どうでもいいかな。
疲れた。
落ちてもいい。」
でも、そんな諦めの気持ちの中にも、「いや、自分はできるかもしれない」という思いが40%は混じっているような、不思議な気持ちだった。
放棄でも自信でもない、不思議な気持ち。
それは、自己の生命を守ろうとする防衛本能からくる諦めの気持ちだったかもしれない。
それまでは、ピンと張られた糸の上を汗をかきながら必死に渡ってきたような気持ちだったが、その緊張感は少し薄れているようにも感じていた。
私は、未経験のそんな気持ちを抱えながら、第3週を出発することになった。
(続く)
コメント
安達さんこんにちは。
全て読ませていただきました。その後、如何されたでしょうか。確か4度目についに自分の能力を生かせる場所を探せたようで、私にも希望の光が
見えたようです。
私は高校出てすぐに渡米し、今では帰化しているものです。私もこの国で働く難しさ、辛さを嫌といううほど実感させれてきました。日系はやはりあから様
な言葉の暴力や意味のない残業、低賃金などから、早い段階で日系関連ゼロのアメリカ企業で働いておりました。
アメリカの雇用形態は完全自由化していますので、人種、性別や年齢などの差別以外では基本、解雇する理由がいらない方針をとっている州が殆どです。
労働者もいつでもやめれます。が、一応訴訟のカバーアップの意味でPIPが普及しています。労働者も一応辞職時、二週間の間雇用主に与えますが、今は
それもなくなりつつあります。なぜかというと、二週間の猶予を書いた辞表を渡した時点でそのまま立ち退き命令する会社が増えてきたからです。
前置きが長くなりましたが、私も三回連続でいじめ、リストラ、PIP のパワハラを経験し、普通はどちらかと言えばポジティブで前向きだった自分の精神の限界を
感じている今日この頃です。特にPIPによって辞職に追い込まれた三度目の会社ではになって修士号をとってやっと勝ち取ったポジションだっただけに。
最初の二社は一週間目で違和感を感じたのでその経験から最初の1,2週間が見極め時だなと思って三社目を観察しましたが、三社目は三か月を過ぎた
所から歯車が狂いだしたため、見極めようがありませんでした。安達さんの話との共通事項が一つあります。私の場合も、デスパレーションから助けを求めた事が
パワハラの引き金となったことです。社内政治の見極めが甘かった。一人の古株女性が怒鳴りに近い、恐ろしい形相で詰問してくるのです。でもその女性が私のメイン業務
の確認係だったため、彼女を避ける事は出来ませんでした。それを頻繁に公の場で詰問されたり、悪魔の様な形相で怒鳴る、小ばかにするでプライドをズタズタにされました。
しかもどこも非白人、移民、女性の三拍子は私だけでした。余り人種、人種というのは私は好きではありません。が、人間自分たちと違う人間を排除したいという
気持ちは万国共通だと思います。そうやってムラを造り、スケープゴートを創ることによって自分の居場所を確認する、というのは特に女性がやりがちではないでしょうか。
そこの部署は経理部でしたが、一人除いて皆女性たちばかりでした。
その女性は17年その会社で働いており、一応パートで、CPAも特に業界内の資格ももっていませんでした。17年も同じ仕事をやっていますから仕事には当たり前ながら
精通しているものの、エクセルなどの経理には必然的なスキルが驚くほど初歩であったりしたこと必死もあり、彼女の社内でのポジションを見極めていませんでした。他のシニアは全員
CPAなのに何故17年の古株社員と以外一番スキルのない彼女が去勢を張っているのか不思議ではありましたが。
長くなるので詳細は控えますが、私も安達さん同様、
誰かにこの思いを聞いてもらいたい一心で、自分のマネジャーに告白(私も出来るだけやんわりと)しました。そこから2週間後、歯車が狂いだし、マイクロマネジメントが始まり、
あれよあれよという間にPIP組み込まれてしまいました。最初の三か月はマネジャーと良好な感じで同僚の若い女性が彼女の事を嫌っている様子で、理解できずにいた
自分のバカさを今になって責めてもどうにもなりません。ある日、マネジャーにありもしない言いがかりをつけられ、それがでっち上げであったことを証明すると、祭日空けに会議室へ
呼ばれ、PIPを言い渡されました。安達さん同様、達成不可能な内容でした。ここで私は幸い共働きであり、主人のキャリアは私のキャリアとは反比例に脂がのって来ていた為、
私は”Pick my battle”という手段を取りました。自分の状況を熟考したうえでこの戦いを受けたつか、去るかーで。結果を申しますと、私は去るという手段を取りました。
ただし、リファレンスの手配をすごいスピードで確保しました。二人のシニアが快く受けてくれたのが不幸中の幸いです。しかし、現在のアメリカはこのリファレンスチェックという
手段は消えつつあります。それ訴訟の為です。企業側も、リファレンスの電話がかかってきても、もはや雇用日と辞職日、仕事のタイトルのみで、この人物をは再雇用可能ですか
の問いにも答えない会社が多くなってきております。が、リファレンスは表向きにはありますので、そこに3名ほど名前をつられないのはレッドフラッグとみなされるでしょう。
安達さんのブログから学んだことは多いです。これからはもっとガードを固く張り、デイワンからもしかのために何等かのジャーナルや記録を取るのは大事だと実感しました。
社内政治も大切です。残念ながら、前社はアメリなのに??と思われるでしょうが、年功序列型でした。なので専門性の高いスキルや資格より、古株が社内政治を仕切って
いたのです。そういう会社はアメリカでも間違いなくあります。安達さんが今を生き生きと楽しんでられることを心からお祈りしております。
最後に日本でもこんなにPIPが広まってるとは夢にも思ってみませんでした。この弱者を陥れるアメリカ発のシステムは決して生産的なものではありません。将来、フリーランスの世の中が
未来が謳われておりますが、それが自分を一番守れる術かももしれません、自分の雇用を自分で確保する意味で。
乱文、文法エラーで読み辛く申し訳ございません!
香川県ルーちゃん餃子のフジフーヅはバイトにパワハラの末指切断の大けがを負わせた犯罪企業。中卒社員岸下守の犯行。