前回の記事では、PIPを受けて不合格となり、社員証を取り上げられて自宅待機状態になってしまった私が、前の会社に対する未払い残業代を求めて立ち上がるところまでを書かせて頂いた。
今回はその続きである。
案内係のおじさんという壁
労基署に駆け込んだ私は、すぐに労働監督官という立場の人と会えるものだとばかり思っていたが、実際は違っていた。
労働監督官とは、企業に強制的に立ち入り検査をしたりできる強い権限が与えられている労基署の中心のような存在である。
まず、最初に話をしなければいけない相手は、御用聞きのように立っている、いかにも定年後に嘱託でやらせてもらっています然のおじさんであった。
労基署の中でキョロキョロと辺りを見回している私を見て、彼は話し掛けてきた。
「今日はどんな御用ですか?」
私はすぐに答えた。
「はい、未払い残業代を払うように指導してもらいたくて来ました」
彼は慣れた口調で、
「では、取り敢えずこちらの椅子に座ってください」
とあちらにある椅子を指し示した。
ふるいに掛けられた私
そのカウンターのようになったところの前に配置されていた椅子に座ると、向こう側では職員達が忙しそうに書類と睨めっこしたり、立ち話をしている姿が目に飛び込んできた。
「私はここで受け付けをやっている、細井と言います。」
彼はそう自己紹介した。
私はすぐに気が付いた。
「そうか、いきなり労働監督官に会える訳ではなく、ここでまずはふるいにかけられるのだな…」
私は準備してきた書類を机の上に広げて、未払い残業代を請求したいことを、筋道立てて話をした。
実は以前、労基者に駆け込んだことのある昔の同僚から、労基署の対応は時に非常に冷たいものがあると、さんざん聞かされていた。
だから、一発勝負をかけるつもりで、入念に書類を準備して、鬼気迫る覚悟をして来ていたのである。
失望の一言
だが、私の10分以上に渡る熱弁を聞いた後に、その「案内係」のおじさんが言ったのは次の一言だけであった。
「会社に直接言ってみたらどうですかね〜?」
彼の顔には少し笑みすら漂っていた。
私は、そんなことで解決するなら、労基署になんか駆け込まないだろう!と言い返したい気分になったが、そこは冷静にこう答えた。
「はい、社長に直接言ってもダメでした。
次に弁護士から内容証明郵便で請求しましたが、ダメでした。
だから、ここに相談に来たのです。」
だが、まずは門前払いを第一の職務としているかのような手慣れた口調で彼はこう言った。
「そうなんですね〜、まあ、でもそれだったら、もう一回、弁護士から請求してもらってはどうですかね。
2回も督促が来れば、態度を変えるということもあり得ますし。」
私はそこで「はい、分かりました」という言葉が喉元まで出かかったが、その思いをぐっとこらえて、こう答えた。
引き下がらなかった私
「いや、既に弁護士からはちゃんと書面で送りましたし、親会社の社長にも、この会社はこんなひどいことをやっていると、直筆の手紙まで送って訴えたのです。
でも、全部無視されました。
ここの社長は本当にひどいんです。
多分、何度弁護士から督促してもらっても、無理だと思います。」
私はキッパリとそう言い切った。
私の覚悟は相当なものであった。
なぜならば、今、この機会で引き下がったら、時効によって請求ができなくなるし、何より今の会社に復職したら、もう二度と平日に労基署に駆け込むチャンスはなくなるような気がしていたからだ。
私の2年間の覚悟の結実
そして、何よりもまた、私はこの労基署に駆け込む機会を退職後2年間もの間、今か今かと狙っていたのである。
一朝一夕に考えて衝動的に駆け込んだのと訳が違うのである。
流石に私のこの覚悟を感じたのか、案内係のおじさんは私の書類に初めて目を通し始めた。
出退勤時刻を毎日記したエクセルが存在していること、深夜割増なども加味して1円単位で緻密に残業代が算出されていること、弁護士の名前で請求した際の書類のコピーもあること、などなど、しっかりとした準備がなされていることを確認してくれたようだった。
そして受理へ
彼は、再び口を開くと、こう言った。
「分かりました。
では、労働監督官に話してみます。」
私は心の中でこう叫んだ。
「やった〜!
ついに復讐の時が来たか!」
そのおじさんはしかし、いくつかの書類の不備を指摘して来たので、それを私は一生懸命メモすると、綺麗に直して明日持ってくることを伝えた。
そして翌日、私は全てを直した書類を労基署に提出し終えると、とても爽やかな気分になった。
労働監督官が書類をチェックし、問題なければ会社に指導してくれるという話であった。
3週間待った私
結果が出るまで何週間か待っていてくださいという話であった。
そして、動きがあったのは、意外と早く、その3週間後であった。
一本の電話が私の携帯にかかってきた。
取ってみると、それは労働監督官本人からの電話であった。
いくつかの質問があり、それに対して答えをすると、彼はこう言った。
「明日、K社の社長が来ます。
そこで未払い残業代を払うように話をします。」
私はすぐにこう答えた。
「どうぞ、よろしくお願い致します!
本当に私はこの日を待っていました。
とうとう始まった復讐劇
本当に、どうかどうか、よろしくお願い致します!」
そう言って、見えない相手に対して深々とお礼をすると私は電話を切った。
「よし、明日はきっといい日になる」
心の中でそう叫んだ。
そしてさらに2日後のことであった。
また、あの労働監督官からの直電があった。
私は、一抹の不安を感じながらも、きっと話し合いの結果についての報告に違いないと思いながら、電話口に耳を済ませた。
労基署に出頭した社長
「社長と人事部の女性の部長が来ていましたよ。
それで、全額払うと言っていましたよ。」
私は、一瞬、これは本当のことかと目が点になったが、予想以上の大勝利に喜びが爆発した。
「あ、ありがとうございます!
本当に助かりました。
本当にどうもありがとうございます!」
私は電話口で、何度ありがとうございますを連発したかわからなかった。
とにかく、ただひたすらに感謝の言葉を並べ立てた。
電話を切ると、私はあのにっくき社長(5時間も私を会議室に閉じ込め、精神病呼ばわりで私を叱責した)と、私を最後は社内で孤立させ、陰口で叩いて精神的に追い詰めてきたあの女性人事部長が労働基準監督署に呼び出されて、監督官の指導を受けている様子を想像した。
2年越しで手にした勝利
どんなに直訴しても、弁護士から督促しても動かなかったあの社長が、労基署の呼び出しだけは無視できなかったのである。
それを無視すれば、今後の会社の経営や採用、あるいは補助金申請にとってマイナスになる可能性があると考えてのことであっただろう。
私は、改めて労基署の力の大きさを知った。
そして、45万2601円は、ただの1円も欠けることなく、1週間後に私のいつもの口座に振り込まれた。
その振込人の欄には、あの憎むべきK社の名前がはっきりと記されていた。
そして、何の挨拶状も入っていない封筒で、残業代を明記した給与明細書の紙切れが送られてきた。
彼らは震え上がったであろう。
諦めない勇気
まさか、たった3ヶ月だけ在職した人間が、退職後2年も経って労基署に駆け込んで、未払い残業代を請求してくるとは。
私も、彼らが人格否定の怒鳴り声を張り上げるパワハラを行なっていなかったら、多分、ここまでしようとは思わなかったに違いない。
私にとっては、これはまさに、パワハラに対する代理戦争であった。
また、会社都合退職にすると約束しておきながら、いざ離職票を発行する段になって
「あなたの都合による自己都合退職です」
とかぶせるような文章を載せた離職票を送りつけてきた彼らであった。
そして、完全とはいかないが、彼らに対する恨みの気持ちの半分以上は、この未払い残業代の戦いの勝利によって解消された。
私はパワハラで精神が病んだりして、退職にまで追い詰められた人達にこう言いたい。
次の勝利は貴方です
ただ、やられっぱなしの人生でいいんですか?
もちろん完璧な人間はいないし、パワハラを受けたのは自分が悪いと自分を責めて納得しようとしている人はいるかもしれない。
でも、いくらこちらに何かの落ち度があっても、パワハラを行っていい理由にはならないのである。
それは犯罪行為であり、その人の人生を永遠に狂わせる可能性もある、恐るべき闇のパワー秘めた悪行である。
だから、たとえ時間と労力はかかったとしても、自分の尊厳を人生を守るために戦おうではないか。
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