知人のパワハラ体験 – 某大手予備校の講師の話

パワハラって、結構、多くの人が体験している。
これは、特に近年、成果を短期間で求める風潮がどんどん高まっていることと密接に関係していると思う。

お金を出しているんだから、つべこべ言わずに、言われた通りやれ!
これがパワハラ人間が相手に要求していることである。

人間は、機械ではない。
お金もらって勿論、忍耐はしていろいろ頑張るとは思うが、その限界を超えてしまうと、感情的に耐えられなくなる。
その一線を越えてしまったら、パワハラと感じるようになる。

パワハラをしている人間は、あまり自分の言動には気が付いていないことが多い。
でも、パワハラを受けた人間は、決して、言われた暴言を忘れることはない。
表には出さないとしても、「この人間はあの時、こう言った」という思いは、決して消えることはない。

私の知人は、某大手の予備校で、講師をしている。
彼は、契約社員として働き始めた。

彼は元々、開放的な性格で、裏表があまりなかった。
だから、中学生の子ども達にも、授業の中で大人の世界の矛盾とか、いろいろ本音で語ったりしていた。

もちろん、それは彼が、その子ども達のためを思って言っていた内容だ。
現代文の授業では、子ども達がまだ経験が少なくて、作者の言っている内容が、理解できないことがある。

大人ですら難しい文章を、子ども達は、入試に出るからという理由で、読解しなければいけない。
当然、大人の世界の微妙な人間関係、嫉妬の情、上下関係、社会のルールなど、自分では経験していないことが多い。

だから、彼は、生徒達と仲良くなって関係が築けた段階で、休み時間や授業中に、少しずつそういう大人の世界の話を織り交ぜて話したのだ。
彼らの経験不足を補うという善意を持って。

だが、雷は突然彼の上に降り掛かった。
保護者からのクレームで、「あの講師は、一体、授業をまじめにやっているんですか?」と電話を受けた上司は、怒り狂って彼を一方的に叱り飛ばした。

それは、彼の人格を傷つけ、その成果や姿勢までを否定する発言だった。
同僚も、彼の指導熱心さを知っていただけに、いろいろ慰めの言葉をかけてくれた。

だが、彼はその上司から、その後も、厳しい罵声を浴びるようになった。
そして、わずか1週間半で、退職に追い込まれた。

彼は、その上司のことを、2年経った今も忘れていない。
その恨みは、その彼のその時の体験談を語るときの口調から、びんびんと感じてくる。

パワハラは、受ける人間の側に責任があるという発言をする人がいる。
だが、世の中が、人間関係で成り立っている以上、どちらかが一方的に悪く、どちらかが一方的に正しいということがあり得るだろうか。

パワハラを受けたことのない人には、分からない不条理な世界がそこにある。
お金を払うからといって、働く人の人間性まで踏みにじってもいいなんてことは、この国の法律のどこにも書かれてはいない。

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